小山田です。今日は読書のお話を書いてみようと思います。
三宅香帆さんの「人生を狂わす名著50」という本を読みました。彼女は現在とても売れっ子ですが、現役の京大院生だった23歳のとき、文学研究をするかたわら、京都天狼院で書店員として働く文学マニアの女の子でした。
この本は、『京大院生の書店スタッフが「正直、これ読んだら人生狂っちゃうよね」 と思う本ベスト20 を選んでみた。』というタイトルで、 書店のブログを書いたところ、本好きの間で大反響を呼び、書籍化されたブックガイドで彼女のデビュー作です。
村上春樹については、2冊紹介されていました。著者は以前、「村上春樹なんて、正直、好きじゃなかった」「村上春樹の描く小説は、はっきり言って、どいつもこいつも人が死にすぎ」と書いてありました。
私も村上春樹は何冊か読んでいますが、私も著者同様「村上春樹の凄さがわからない」種類の人間です。(笑)
著者は短編集『TVピープル』に収められた「眠り」を読んで印象が変わり、好きになった過程を紹介し、多くの「村上作品を受けつけなかった」人に特におすすめと位置づけ、「世界の村上ブンガクの傑作短編」とまで絶賛しています。
そこまでいうなら「村上春樹の凄さがわからない」私も読もうではないか。もしかして、私を村上春樹のファンにさせてくれるのではないか。そんなことを考えつつ、「読書の連鎖」に感謝しつつ「TVピープル/村上春樹(著)」をさっそくKindleでポチり、読ませていただきました。(笑)


「TVピープル」に収められている「眠り」内容はざっとこんな感じです。
主人公の「私」は、30歳の専業主婦。夫は歯科医で、幼い息子がいる典型的な中流家庭で暮らしている。毎日の生活は家事と家族の世話に追われ、機械的で繰り返しの日々を送っていた。
ある夜、金縛りのような状態に陥る。目が覚めると、足元に痩せた老人が立っていて、水差しから自分の足に水を注いでいるという不気味な幻覚(あるいは夢)を見る。水の感触は感じないが、その異様な光景に強い印象を受け、その夜を境に「私」は一切眠れなくなってしまう。眠気も感じず、17日間も一睡もしていないのに、身体はむしろ若返り、集中力が高まるような不思議な覚醒状態が続く。
夫や息子は「私」が眠っていないことに全く気づかない。普段通りに家事をこなし、朝食を作り、家族を送り出す日常を維持する。時間を持て余した「私」は、昔読んだ『アンナ・カレーニナ』を再読し始める。一週間で三回読み返し、ページの間に残っていたチョコレートの欠片から無性にチョコレートが食べたくなる。夫が歯科医のため避けていたチョコレートやブランデーを買い、夜な夜な読書や飲酒、思索にふける。
図書館で睡眠に関する本を調べ、「睡眠は人間の思考・行動の個人的傾向の偏りを中和・調整・治療するもの」と知る。「私」はこれまでの自分の人生を振り返り、毎日同じ家事の繰り返しの中で「傾向的に消費」されていることに気づく。眠りという「中和」の時間が必要なくなった今、夜の時間を自分のために使い、自由に生きることを決意する。夜中に車(シティー)を運転して港やパーキングエリアへ行き、音楽を聴いたり思索に耽ったりする。
しかし、17日目頃になると、死について考えるようになる。これまで死を「眠りの延長」として想像していたが、今の果てしない覚醒状態こそが死なのかもしれない、と恐怖に襲われる。「死とは果てしなく深い覚醒した暗闇の中で永遠に目覚め続けていることかもしれない」と感じ、激しい不安に駆られる。
物語のクライマックスでは、深夜に車で出かけた「私」は人気のない場所に停車する。外に二人の男の影が現れ、車を激しく揺さぶり、倒そうとする。「私」はエンジンをかけようとするが焦ってキーが刺さらず、諦めてシートにもたれ、顔を覆って泣き続ける。男たちは車を揺さぶり続け、「私」はこの小さな箱(車)に閉じ込められたまま、どこにも行けない状況に陥る。
ここで物語は唐突に終わります。開放的な覚醒を手に入れたはずの「私」が、再び閉塞感と恐怖に包まれるという、村上春樹らしい不気味で象徴的な結末を迎えます。
三宅香帆さんは、多くの「村上作品を受けつけなかった」人に特におすすめということでしたが、私にはやはり・・・「村上春樹はわからない!!」。そんな印象しか残りませんでした。(笑)
三宅香帆さん、せっかく力説してオススメしてくれたのに、受けつけ出来きないワタクシをお許しください。(笑)