創業者の言葉


企業情報のページを少しづつ書こうと思い、資料や昔に書いたFacebookなどを眺めていて、創業者、小山田行男が建設業協会宮古支部で作った「建設業四十五年のあゆみ」と言う冊子に寄稿したものをテキスト化したものを見つけたので紹介したいと思います。


愛情と信念を持って

代表取締役会長
小山田 行男

 私が土方になったのは、昭和32年黒四ダム、大町ルートのトンネル工事(映画黒部の太陽のモデルになった現場)で熊谷組の下請けをしている先輩にお世話になったのが始まりです。毎日が穴の中の発破がけばかりで昼夜二交代ですので、お日様を見るのは交代の時の飯場の行き帰りだけです。夏でも顔が白く、お盆で帰ったときなど、会う人ごとに「顔色が悪いが何か病気でないか」と言われたものです。次の現場は福井県の国鉄北陸トンネル工事の第二工区に移り、相変わらず穴の中ばかりで2・3 mの至近距離での発破事故に遭い、九死に一生を得ました(今思い出してもよく生きて・・・)。その後病気になり実家に帰りました。

 昭和34年に上京して舗装会社に二年ばかり勤めたが、親父の強い意向もあり、また刈屋に帰って来て、昭和37年に足立ベニア運送を創業、昭和43年に小山田組を設立し、昭和53年に法人化し現在に至っております。

 小山田組の初めての工事は足立ベニア刈屋工場の貯木場工事で、道具一つなく、スコップ10丁、ツルハシ5丁と買ってきて、4切ミキサー2台を並べて多い日は20m3以上も打設しました。次に思い出に残る現場は源兵衛平の草地道路整備工事です。着工したのは昭和53年の11月になってからと思いますが、着工して間もなく大雪に見舞われ12月20日頃から現場に行けなくなり、4月末に除雪して工事を始める迄の出来方は20%位しかなく、勿論工期は3月25日ですから大変な事ですが、当時は末だ「5月31日の出納閉鎖迄に終ればいいや」と言ったのんきな時代だったことが懐かしく感じられます。1工区、2工区とあり、現場は2Km位しか離れていないのに、1工区は刈屋から、2工区は和井内からでないと行けない状況で、1工区、2工区の連絡もままならない状態だったわけです。刈屋からの道路もですが和井内からの道路勾配が急で、資材を搬入するのに大変で、特に敷砂利運搬は登れなくて途中で捨てた砕石が使用量の15%くらいありました。湿地が多く、ブルやダンプが動けなくなる事もよくあり、完成したのは7月10日過ぎで会計検査の来る4・5日前だったことを思い出 します。 当然大赤字を作り会社運営で頭が痛いことが多く、眠れぬ夜が続いた事が忘れられません。

 今迄完成してきた工事を思い出してみて、出来も良く、トラブルも少なかったような現場は、比較的に利益も出るし、発注者にも文句も言われる事無く、余り強い印象は残りませんが、色々とトラブルもあり大変苦労した現場ほど忘れることは出来ませんが、それが苦しみではなく、楽しかったことの様に思い出されるのは、人生って不思議なものだなあと感じられます。

 会社運営にあたり何を大切にするかと言われても、今迄、今日、明日の事でばかり生きてきた器量なしですので、大きな事は言えませんが、仕事を見つけるのが第一です。仕事が無い事にはどうにもならないのでその仕事探しが大変な事です。私は苦手で社員にいつも頭が上がらん事が多いのです。

 次にお客様は神様ですでもないですが、発注者に不満を与えないように、そして喜んでもらえる工事をする事が大切です。立派な工事をしても人間関係が悪くて信用を落とす事もありますので、その辺の教育も大切な事のようです。

 立派な工事と裏腹なのが企業は常に利益を追求しなければなりません。利益なくして企業の発展はないし、働いている人たちに喜んでもらえない訳です。ですから立派な工事をする事と、利益を追求する事とのバランスをとりながら運営することが大切な事のようです。

 後継者についてですが、世間で良く器量のない息子を色々とカバーしながら後継ぎにした結果、おかしくなった例をみておりますが、私は男の子供三人おりますけど、小さいときから俺のやってる仕事はお前達には譲らない。もしやりたかったら俺が頼んだ人から奪いとれと言ってきましたので、それぞれ生計をたてております。そして私が選んだ人は同じ事をお願いするわけです。会社を継続させ発展させることは大切なことですが、無理に伸ばそうとすれば、多くの敵を作ることが多く、それが正義の場合は別ですが、私欲に走る場合が多いようですので、あまり無理する事なく、こつこつと一歩一歩を大切にして、周りの人からいくらかでも不幸を無くしていくように努力し、何事にも感謝の心で生きるのが大切な事だといつも考えております。

 そして従業員を幸福にするよう見守らなければならない訳ですが、暖かな愛情は簡単ですが、それだけでは駄目で、強い人間を作るためには、冷たい愛情も大切な事だと思います。しかし、中々理解されにくいので信念を持って対処し、いつかは喜んでもらえる様、頑張るつもりです。

「建設業四十五年のあゆみ」より抜粋

久しぶりに読みましたが、心が引き締まる思いです。

初心を忘れないようにするためにも、たまに読み返したいと思います。





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