令和6年能登半島地震


元旦の夕方から、衝撃的なニュースが入りました。震度7、建物倒壊、津波、そして朝市通りで延焼200棟。死者は今のところ30名。(1/2_15:00)現在です。今日になって輪島市の基準点が1.3mも移動になっていたことが発表になりました。昨夜からずっと、テレビの前に釘付けです。

東日本大震災のとき、東北以外の人はこんな思いで、被災地の情報を見ていたのかと、少し変な気持ちになりました。そして、思い出すのは震災後最初2011316日に発行された「日刊岩手建設工業新聞」の一面が、私に電話で聞き取りした記事だったことです。電子版を探しましたが、その時はまだ電子版になっていなかったようです。Facebookに記事があったのでリンクを張っておきます。



 発災からまだ24時間も経っていないので、これからどんどん情報は更新されて行くのでしょう。東日本大震災のときも、朝に新聞を見るたび毎日犠牲者が何百人も増えていく感じが、なんとも言えない感情が芽生えたのを覚えています。

 ネットで検索すれば何でも出てますが、私なりに情報を整理して、書き残しておこうと思います。


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